読書の秋がやってきました。
いま、高橋源一郎の小説『さよなら クリストファーロビン』を読んでいます。
タイミング良く、ディズニー映画「プーと大人になった僕」も劇場公開されたので、こちらも観てきました。
くまのプーさんのお話に着想を得た2つの作品を通して、イマジナリーフレンドについて考えています。
イマジナリーフレンド、訳すと想像上の友だち。
クリストファーロビンにとってはプーとその仲間たちです。
プーはぬいぐるみなので実体がある友だちですが、頭のなかだけに棲む友だちもいるでしょう。
幼い子どもは、現実の人生とは別に空想の物語のなかで暮らすことがあります。
もっとも、その時間も人生のうちなので、両者を厳密には分けられませんが。
物語の主人公は子ども自身、「わたし」です。
友だちはいつもそばにいて、たとえケンカしたってわたしの味方です。
敵でさえ、仲間のきずなを深めたり、主人公のわたしの強さをアピールするための役回り(^_^)
自分にとことん甘い物語を紡ぎながら、子どもが手に入れるもの。
それは安心感と自尊心ではないかと思います。
思い通りにいかない現実と直面してぺしゃんこになったときも、カッコいいわたしに戻れる場所があるって素敵!
人には、美点・醜点ありますが、心許せる仲間といると、自然と良い面が引き出されて、カッコよくいられませんか?
反対に、自分が落ち着けない場所では、認められる手立てとしてカッコよくあろうとするので疲弊します。
心許せる相手が現実の人生のなかで増えていくのは幸せです。
一方、相手に寄りかかったり期待しすぎることなく、自分を守れるイマジナリーフレンドの存在も、とても頼もしいものです。
大人になる過程で失うひとが多いのはもったいないなぁ。
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イマジナリーフレンドは、わたしの化身であるとともに、他者の視線を内在化した存在で、そこに人間が社会的動物であることを感じます。
わたしがわたしを認めているのではなく、イマジナリーフレンドがわたしを認めているという体(てい)をとることで承認欲求が満たされたり、他者のフィルターを通してものを考えることで、ひとりでは気づけなかった思いや考えが掘り起こされ、自分を多面的に構築していくことができる。また共感力や想像力が育まれます。
それは現実の世界で生きていくための力にもなります。
ちなみに、今回の映画のプーさんは、イマジネーションの世界を飛び越えて、クリストファーロビンだけでなく、いろんな人と実際に話していました(笑)。
源ちゃん(出演するラジオをいつも聴いてると、こう呼んじゃう)の小説は、人生という「物語」について、様々なフェーズから考えさせられます。
まだ言語化できないのですが、いつか感想を書いてみたいと思います。
おまけ。我が家のくまです。いつも助けてもらってます。
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