私は鳥が好きですが、苦手なひとの気持ちも分かる気がするのです。

鳥は、恐竜の末裔だというはなし。
羽毛につつまれたふわふわな姿からはピンときませんが、足を見ると、さもありなんと思えます。

つぶらで可愛らしい目も、つるんと冷たく澄んで、どこかよそよそしいときがあります。

私はむかし犬も飼っていましたが、ペットとしての歴史が同じように長くとも、犬や猫に比べ、鳥は野生の質を多く残していると思いますし、そこが魅力でもあります。

向田邦子のエッセイ『伽俚伽』に出てくる鳥のくだり。
苦手派から見た描写ですが、とても印象的で、初読以来、私のなかの「鳥」のイメージに大きく影響しています。

紹介するのに正確なところを、と思い、久しぶりに読み返してみました。

「私は鳥も金魚も苦手である。金魚は水の中にいるせいか情が移らないし、鳥は指にとまる時、ギュウッと獅噛むようにするのも、下からキロンと上がって閉じる瞼も好きになれなかった。」

あぁ、これ!

手乗りの鳥を飼ったことがなく、とまられたことなどあまり無いはずなのに、あの細い足指に握られる感触が、文を読むとありありとよみがえります。

瞼が下から閉じるというのも、鳥の話題になるとよく吹聴していますが、こちらで読んだのが先なのか、実際に自分の目で見たのが先なのか分からない。

血肉になる、という言葉がありますが、腑に響く文は、何度も反芻しているうちに自分のものになっていきますね(これは時には気をつけなくてはいけないのですけれど)。

読書の喜びのひとつは、おぼろげな体験や遠い記憶、かたちを取らない感受性に思いがけず明るい日が当たり、それを取り出して愛おしむことができるところにあると思っています。

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