幼稚園の時、地引網をやった。
入っていた魚は、参加者全員に分配された。
そこそこ大きな魚も入っていたけど、ジャコみたいな小魚しかもらった記憶がない。
大人たちは「小さなおさかな、いっぱいいるね~、良かったね~」なんて話しかけてきたが、不満げな顔をしている子供を丸め込もうとしていることに薄々気が付いていた。
母はその小魚でつみれを作ってくれた。
「地元の海のとれたての魚で作ったつみれ」なんて随分贅沢なものを食べさせてもらったんだなと思う。
が、酒を飲むようになった今ならともかく、幼稚園児の自分はあまり嬉しくなかった。

同じく幼稚園の時、青梅もぎをやった。
「食べたら危ない」と言われ、収穫した梅は全量が幼稚園を運営する寺に回収された。
梅酒か梅干しの原料になったのかも知れない。
地引網の時とは違い、残ったのは「梅をもいだ」という記憶だけだ。

 

母からは「あんたは熱しやすくて冷めやすい」とよく言われた。

のめりこんでいてもふっと気持ちが途切れてそのままになることがある。

「頑張ったところで利益は誰かにかっさらわれる」という幼児体験が尾を引いているんじゃないか、と時々考える。

 

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